1990-06-20 第118回国会 参議院 環境特別委員会 第8号 私は出水の漁村名護部落に生まれ、名護で育ちました。子供のときから、食事もおやつも魚という生活を送ってきて、学校を卒業してから熊本で働き、昭和三三年に主人と結婚しました。 主人は出水で漁師をしており、妊娠した私は、元気な子供が生まれるように主人のとってきた魚をたくさん食べました。魚が水銀で悪くなっているなんて思いもしませんでした。それなのに最初に生まれた子が胎児性水俣病の子供だったのです。 沓脱タケ子